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最後のページをめくれば、そこには。
幸せそうに微笑む、王子と姫の姿が描かれていた。
39.童話の王子とお姫様
部屋の模様替えをしていた龍南は、クローゼットの奥から1冊の絵本を発見した。
見覚えのあるそれを、懐かしそうにめくる。
すっかりと角が丸くなり、ところどころ擦り切れたそれは、字を覚えはじめた龍南のために、紅葉が初めてくれた思い出の絵本。
今ではほとんど読むことはないのだけれど、だからといって捨てることができるはずもなく、この新宿のマンションに移るときも持ってきた。
ぱらりぱらりと、ページをめくるたびに、古紙の香りが鼻腔をくすぐる。
けれど、けして嫌いな香りではない。
読書好きの紅葉の影響か、龍南も読書は好きだった。
……ただ、彼ほど難しい本は、読めなかったけれど。
ぱらりとまた1ページをめくれば、大きな城の奥深くで、眠りにつく姫の姿が描かれている。
初めての本ということで、あまり字の多くないそれは、その分絵が綺麗で。初めて手にしたときは、文章よりもその多彩な色に目を奪われた。
そして、覚え始めたひらがなを、1つ1つ指先で辿りつつ。物語の中に惹き込まれるようにして読んだことを、覚えている。
表紙に『いばら姫』と箔の押されたこの本は、誕生日に魔女の呪いのかかった針を指に刺されてしまった姫が、深い眠りにつき――やがて姫の噂を聞き救いに来た王子のキスによって、目覚めるというもの。
もちろんラストは、全ての童話に描かれている結末のとおり。2人で幸せに暮らしました、というものだ。
この本を読んだ後、何冊かの童話を読み、童話とはそういうものだと知った。
しかし、初めてこの本を読んだときは、この結末に驚いた。
そして――同時に。とてもとても、心惹かれた。
それは、少女であれば誰でも1度は憧れるものだろう。
いつか王子様が現れる――という夢を抱くのは、いわゆる『シンデレラ・コンプレックス』と呼ばれる少女特有の現象で。1度は、抱く夢。
もちろん、龍南もまたその例にもれず、夢を見た。
いつか――この先に続く未来の、いつか。
もうちょっと、大きくなったら。
女の子らしく、なったら。
私にも。
私だけの、王子様が現れるかもしれない、と。
「……龍南?」
ふと、近くで呼ばれた自分の名前に、絵本の物語に集中させていた意識を浮上させ、龍南は振り向く。
そこにいたのは、想像通りの人物。
「紅葉」
「何を、見てるの?」
笑顔で彼の名を呼べば、手元を覗き込まれた。
そこにある、見覚えのある絵本が何か、彼もまた気がついたらしい。
「ああ……まだ、持っていたのかい?」
懐かしそうに、そして何処か嬉しそうに。紅葉もまた絵本を愛おしむように、優しく撫でる。
その仕草に、龍南もまた嬉しそうに微笑んだ。
絵本の上をすべる紅葉の指は、男の人にしては優美な指だと思う。
そんなに、多くの人の指を知っているわけではないけれど。とてもとても、綺麗な指。
鳴滝から陰の龍の技術を継いだ彼は、並ぶもののない武術の達人だけれど、この指先だけを見ていたら、そんなこと想像できない。
節々はしっかりと骨ばっているから、か弱いという印象は受けない。
それでも、どうしても『優美』という印象が先立つのは。この指が自分の前で武術とは違うことを、たくさん披露してくれるからだろう。
例えば、おいしいご飯やお菓子を作ってくれたり。
例えば、優しく髪を梳いて、結んでくれたり。
そして何より。
キスを、くれるときに。
素肌に、触れるときに。
優しく、撫でては離れて……けれど、すぐにまた触れてくれる。あたたかなぬくもりをもつ、指。
自然に龍南は、紅葉の手に自分の手を重ね、持ち上げた彼のそれに、そっと唇を寄せる。
すると、ぴくりと硬直したように紅葉の手に力が入ったのがわかった。
彼は自らの手が『仕事』で血に塗れていると思い込んでいるから、手を握るならともかく、唇で直に触れるときには、必ずこうして一瞬緊張する。
――けれど。
「……紅葉の手、好きなの」
「…………ありがとう」
心からの言葉を指先の上でつぶやけば、彼は暫しの沈黙の後感謝の言葉を返してきた。
それを聞いて、思い出す。
この絵本に描かれている、ラストシーン。
王子からのキスを受け、深い眠りから目覚めた姫が、言うのだ。
キスを贈り、自分を目覚めさせてくれた王子に対して。
自分に、恋をしてくれたことを。
自分を、目覚めさせてくれたことを。
そして――彼に出会えたことを。
彼に、そして彼ではない誰かに、感謝するのだ。
それが神様なのか、それとももっと他の存在なのかは、姫にしかわからない。
それでも。
この、深い眠りにつくという運命を与えたかもしれないその存在にすら、感謝の言葉を紡いで笑った姫。
それは、姫の心の強さを示しているような気がした。
1人で眠りにつくという、運命すら受け入れて。
そうして――目覚めた後。その事実を、受け入れる強い心を。
だから、今改めて気がついた。
初めてこの本を読んだとき、何故こんなにもこの絵本に憧れたのか。
本当は、王子が迎えに来て目覚めさせてくれる――という以上に。この姫の強さに、焦がれたのだろう。
当時の自分にはない――と思っていた、その強さ。清廉でいて、気高き心。
それに、惹かれた。
だから、願った。この物語と同じ結末が、自分にも訪れることを。
そのためにも、まずは、王子様が現れてくれることを夢見た。
けれど、現実には自分の前に王子など現れなかった。
紅葉は確かに、王子と呼んでもふさわしい外見と心を持っているかもしれないけれど、彼は王子などという物語に出てくる存在ではなく、現実の人だから。
でも、今はそれでよかったと思う。
だって。
眠り姫と全く同じ結末が自分に訪れては、困る。
自分を目覚めさえたのは、本当の意味では紅葉ではない。
確かに、言葉を教えて、自分の名を思い出させてくれたのは、紅葉だけれど。
実際に緋勇という名の檻から救い出してくれたのは、鳴滝で。
その元となった事件を起こしたのは、柳生だから。
「……ふふ」
「ん? どうしたの?」
「なんでも、ない」
小さく笑えば、紅葉が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
それにまた微笑んで、龍南は少しだけ首を伸ばして、覗き込んでくる紅葉の顔に自分の顔を近づける。
重なるのは、影と唇。
慣れたそれに、より笑みが唇に浮かぶ。
それが、キス越しに紅葉にも伝わったのか、彼の唇もまた笑みを形とったらしい。
……ぱさりと、膝の上から絵本が落ちる。
視界の隅、開かれていたのは、最後のページ。
王子様とお姫様が、抱き合って笑顔で描かれている、幸せそのものの姿。
――それが、最後の光景。
王子様とお姫様は、幸せに幸せに暮らしましたと、あるけれど。
王子様とお姫様でなくとも、幸せだからいいの――と思う。
だって。
今、とっても幸せだから。
そうして2人は、笑いながら、キスを続けた――。
(UP)04.10.27
最近、どうもキスシーンをオチに使う癖が(癖?)。
素直に考えればこの2人でそのまま『王子と姫』に当てはめてもよかったのですが。
意外に龍南は現実主義(笑)だということに気がついたので、こんな形になりました。
……っていうか、童話って本当は残酷な話が多いっていいますよね。
紅葉にとっては、『手』というのは大きなキーワードになっていると思います。
龍南もそれを知っていて(無意識かな?)、ことあるごとに触れて『大丈夫』と伝えている。
だからこそ、手を繋いで――触れ合ってという日々を送っていることで、いかがでしょう?